ユーラシアの近代と新しい世界史叙述

詳細

【報告】10月20日:「翻訳」研究会(第4回)

2013年10月23日

2013年10月20日、第4回「翻訳」研究会「史料を行為と作用から見る」が開催された。

Matsukata210202013.JPG

 

司会は松方冬子氏(東京大学)であった。情報の移動というものに注視し、これまで多様なテーマを扱ってきた同研究会であるが、今回展開されたのは史料論であった。

 

 

 

 

 

 

最初の報告者、村尾進氏(天理大学)はその報告の冒頭において、この会の趣旨を説明した(「史料の外側/世界の内側―19世紀中国知識人のある「外国記述」―」)。史料とはその性質上必ず何かを表現するものとして立ち現れる。Murao10202013.JPGしかし一方で史料とは情報の連なりのような静態的なものとしてだけではなく、自ら「行為」し、読み手に「作用」するものとして理解することも出来る。歴史学はこれまで史料の表現(テクストであれば書かれた内容)を問題とすることが圧倒的に多かった。しかし、本研究会においては、史料をより動的な事物と捉え、その「行為と作用」とに考察の重心を移すことで何が見えてくるのかを問うた。

村尾氏はアヘン戦争(1840-42年)・アロー戦争(1856-60年)の舞台となった広州の一知識人が当時著した2つのテクストを取り上げる。現代の我々には異国紹介の記述としか読めないこれらのテクストも、著者の自己認識・世界観に目を向けることで叙述行為の内実に迫ることができる。これらは実のところ異なる世界を表現するものではなく、むしろ著者の世界に君臨していた満人天子の徳や存在意義を問うものであったのである。Sugimoto10202013.JPG

 

続く報告は杉本史子氏(東京大学)によるものであった(「文字と図の史料論・試論―近世日本の場合―」)。杉本氏が扱ったのは主に図表現であり、それが本来持っていた機能(行為+作用)を理解するためにはそのコンテクストの回復が文字表現以上に重要であることを説いた。事例として挙げられたのが鳥瞰錦絵である。劇の一幕のように架空の場を描き時事を可視化する時事錦絵に比べると、鳥瞰風景を描く鳥瞰錦絵にはメッセージ性/時事性を読み取りにくいように思われる。しかし、実際にはそれらの鳥瞰風景はその風景の切り取り方や配置、地名・シンボルの指示などによって、時事を実際空間に落とし込んだものであった。鳥瞰錦絵は時事錦絵と並び、明確な意図のもとで行為し、そのコンテクストを理解する読者に直接作用する作品なのであった。

 

休憩を挟んだ後のお二人、嶋中博章氏(京都産業大学)、野呂康氏(岡山大学言語教育センター)の報告はいずれも「メモワール」というある特定のフランス語史料を「行為と作用(フランス語ではactionという単語が両義を内包する)」の観点から分析するものであった。メモワール(回想録/覚書)なる個人の主観の結晶ともいうべき書きものは、書かれた内容に注視して事実を組み立てようとする立場をとる場合には「客観性」を担保することの困難な、扱い難い史料でしかない。しかし、ひとたびその史料の「行為と作用」に重心を移してみれば、前者とは異なる歴史叙述が可能になる。

Shimanaka10202013.JPG嶋中氏の報告は17世紀のフランス貴族のメモワールについてのものであった(「『行為の文学』としてのメモワール―17世紀フランスから―」)。氏は、特にルイ14世の親政宣言を劇的な形で叙述したブリエンヌ公のメモワールを取り上げる。ブリエンヌ公の初期のメモワールには実は現在よく知られているルイ14世の親政宣言にあたっての劇的な「台詞」は記されていなかった。しかしブリエンヌ公はその後自らのメモワールにその「台詞」を加えることでルイ14世の宣言に特定の「意味」を付与する。さらに、このメモワールがその後の叙述家たちによって史料として用いられることで、この「台詞」は“史実”と化していく。史料の「行為と作用」に注視することで、史料(客体)/歴史記述(主体)という内容に応じた区分が転回する様相を示して見せた。Noro210202013.JPG

 

 

 

野呂氏の報告は論争文書を扱うものであった(「歴史を記述し、伝えること―覚書(メモワール)の行為と作用―」)。1655年のリアンクール公に対する秘蹟拒否をめぐる事件において、彼のメモワールはこの事件についての「真正」な証言、第一級の史料として扱われてきた。しかし、このメモワールの成立および伝承のあり方に注目すれば、この文書が複数の段階を経て複数の書き手に記されたいわば「行為」と「作用」の入り混じったものであり、とても「客観的な事実」を担保するものではないことが明らかになってくる。この史料から読み取れるのはむしろこの史料が果たした「行為と作用」、つまりこのメモワールを利用したジャンセニストたちの強固な歴史意識と歴史記述への配慮なのである。

 

Noda10202013.JPG諸氏の報告を受けて、野田仁氏(早稲田大学イスラーム地域研究機構)がコメントを行った。野田氏はまず、これら諸氏の報告にあった史料論に通底するものを「行為と作用」という本研究会の題目に絡めて読み解いた。すなわち、史料の「行為」とはそれが書かれた時代・社会によって“構築された”ものであり、その「作用」とはある意味では読み手が個別の環境に基づいてそれを“脱構築”していくものだと。さらに野田氏は科研の主要テーマである「近代」を取り上げ、「近代」特有の“一にする”力の中で捨象されてしまうものを、史料の「行為と作用」に注目する姿勢が掬い取ることが出来るのではないかと述べた。

 

 

 

 

その後、討論がフロアに開かれる。議論は極めて多岐にわたったが、その数例を挙げるならば、まずは史料の「作用」と言う観点から、杉本氏が触れた「音声」の問題について議論が為された。さらに嶋中・野呂両氏が使った私的ながら公を多分に意識して書かれたメモワールと、杉本氏が扱った公のコマンドとも言い得る、形式およびその伝達系統が明確な文書とが有する「行為と作用」の違いについても意見の交換が行われた。

 discussion10202013.JPG

最後に司会を務めた松方氏が本科研の方向性を踏まえ、議論を総括した。本科研は世界史という「広いところ」から歴史学を見直すプロジェクトである。一方で今回の史料論で示されたのはある特定の史料(あるいは史料群)という「狭いところ」から近代史学を見直す試みとも言い得る。こうした視点を異にしながらも、しかし志を同じくしたアプローチが、例えば史料の作用する公共空間の近代における変質といったような議題を設定することで繋がるのではないか、こうした可能性を確認しつつ、研究会は幕を閉じた。

 

(文責:諫早 庸一)

 

ユーラシアの近代と新しい世界史叙述 トップへ

ページの先頭へ