ユーラシアの近代と新しい世界史叙述

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【報告】1月12日 国際シンポジウム「南蛮・紅毛・唐人」

2013年01月23日

2013年1月12日、科研費基盤(B)「西欧・中国・日本史料による16-17世紀東アジア海域史の総合的研究」と本科研の共催で、国際シンポジウム「南蛮・紅毛・唐人―東アジア海域の交易と紛争」が東京大学東洋文化研究所3階大会議室で開催された。

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岡美穂子氏(東京大学)による趣旨説明の後に、第一セッション 「紛争の海」において、以下三つの報告が得られた。

 

 

 

 

 

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報告1 山崎岳氏(京都大学)の「ムラカ王国の勃興―その国際関係を中心に―」では、ムラカ国の勃興を海峡周辺諸国との国際関係から見直し、海上軍事力と商港としての優位性、近隣諸国への臣従と利益供与といった外交政策によって実現されたものとした。

また、理念上の中国像と現実の華人像は別次元として併存し、ムラユ諸港の華人集団は弾圧される一方で、中国皇帝はムラカ国の偉大さを強調する道具として用いられていたと指摘した。

 

 

 

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告2 中島楽章氏(九州大学)の「1540年代の双嶼密貿易と西洋式火器―双嶼から薩摩へ―」では、1540年代に双嶼に来航した貿易船が装備した火器を紹介し、双嶼で拿捕された薩摩・東郷出身の日本人が仏郎機銃や火縄銃を装備していたことを指摘。

これらの火器は京泊に来航する華人海商や双嶼での密貿易で獲得したと考察。日本伝来の火器はインド-ポルトガル式火縄銃であり、種子島のメインルート以外に南九州のサブルートが存在したと検証した。

 

 

 

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報告3 藤田明良氏(天理大学)の「東アジア海域における紛争と言説生成―1665年のオランダ船普陀山襲撃事件を素材として―」では、船山群島普陀山で起きた事件について、日本人、中国人、オランダ人が記している各資料を比較検証し、情報源や二次的に生成された言説を特定した。

そしてその言説の背景には、オランダ人による海賊行為の標的となった中国人の恐怖が読み取れることから、言説は各地域の文脈にそって醸成されると指摘。言説史料は海域世界の実像にせまるための新素材であると提唱した。

 

 

 

第1セッションの3報告に対して、テーマである「紛争の海」をどのようなイメージでとらえるのか、日本へ初めて伝来した火器の種類や戦術との関係などについて意見交換がなされた。

 

昼食をはさんで後の第2セッション「交易の海」では、以下三つの報告があった。

 

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報告4 岡本真氏(東京大学)の「堺商人日比屋一族とその貿易活動―16世紀半ばにおける日明貿易とその連続性―」では、遣明船貿易(1530~40年代)に従事したひゝや氏と来航船貿易(1560年代)に従事した日比屋氏について、その特徴や共通点から両氏は同族であったことを検証した。

また1554年に発給された書状の分析から日比屋氏が島嶼部貿易に関与していた可能性を指摘し、遣明船貿易、島嶼部貿易、来航船貿易の各貿易をおこなった日本人商人には連続性と同質性を見いだせるとした。

 

 

 

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報告5 鹿毛敏夫氏(東京大学)の「16世紀九州における豪商の成長と貿易商人化」では、天正年間の豊後の豪商仲屋宗越が、大友政権下の政商から豊臣政権下の豪商に成長していく過程を紹介。

その父顕通が天文年間に物資輸送の流通収益や年貢米の運用投資によって豪商となったことを検証し、その蓄財により、16世紀後半には銀を計量する秤の特権を獲得し、唐船や中国人技術者を統括、やがて東アジアの貿易ブローカーへと成長していくと指摘した。

 

 

 

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報告6 Lucio de Sousa氏(University of Evora)の「16世紀ポルトガル人によるアジア奴隷貿易―奴隷交易の実態とイエズス会史料―」では、イエズス会史料の記述を分析し、マカオが中心となったポルトガル人による奴隷貿易の黎明期(1557~98)を中国人奴隷の時代、日本人奴隷の時代、朝鮮人奴隷の時代の三段階に分けて解説した。

そして1598年以降は、イエズス会の圧力によりマカオの奴隷交易は衰退し、その中心地はマニラへ移転したと検証した。

 

 

 

第2セッションの3報告に対して、航海において商品は誰が管理したのか、豪商化する要素としての秤、日本人とポルトガル人の奴隷商人の関係などについて意見交換がなされた。

(文責:阿部百里子)

 

午後の休憩後の第3セッション「近世から近代へ」では以下二つの報告が提示された。

 

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報告7 豊岡康史氏(日本学術振興会)は「アヘン、EIC、海賊―マカからみた19世紀のカントンシステム」と題して発表を行った。カントンシステムは、従来、欧米系商人の対外貿易における取引管理制度として捉えられてきた。氏はこれを国際関係のなかに位置付けようと試み、海賊問題、イギリス軍上陸事件、アヘンの取扱いといった具体的事例から分析した。

英軍によるマカオ占領事件を契機に、清朝の広東当局とマカオ政庁との協力関係が確立する。マカオの島嶼部付近には海賊集団が存在し、マカオの内部にチャネルがあり、華人商人があいだに入った。当局との関係はより強化され、マカオの関税収入は増加した。しかし1820年代後半、廉価で品質のよいアヘンが出回り、広州やマカオを経由しない取引が増え、マカオの広東貿易の位置は相対的に低下していった。

 

 

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報告8 Manuel Perez Garcia氏(清華大学)の「歴史家の現代的実験室――消費のデータベース構築と海域研究」では、イギリス・ポルトガル・オランダ・フランスなどのヨーロッパ商会によるアジアとの海上貿易が発展し、18–19世紀前半に中国産品は西洋市場で優位を占めたことを提示した。

氏は遺産目録や結婚持参金などのデータベースの構築と利用の意義に言及した。1.ライフスタイル・消費性向・生活水準の変化が分かる可能性。2.社会経済の上層部に流入した富が中下層部に波及していくという仮説(トリクルダウン理論)とは異なる展開がみられる可能性。3.社会集団ごとに資産・収入・購買力・消費パターンなどが検証される可能性など。

 

 

 

質疑応答では、1.豊岡氏の報告に関連し、マカオはカントンシステムの最後の砦であったと理解してよいかどうかという質問が出された。2.Manuel Perez Garcia氏の研究はインパクトがあると述べた上で、東インド会社がもっていた北ルートと南ルートとの関係、交易量の減少に関する研究との整合性について質問があった。

 

 コメンテーターからは、おもに以下の発言と提案がなされた。

 

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荒野泰典氏(立教大学名誉教授)は近世の国際関係の再構築を試みるなかで、海域を扱って鎖国を批判し、倭寇的状況と諸民族の雑居に着目している。大航海時代に近世の始まりを見出すのではなく、東アジアを全体的に、倭寇的状況を捉える意義に触れた。

さらに歴史のどこの何を明らかにするのか、それは我々にとってどのような意味があるのかを考えなければならないと指摘した。

 

 

 

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島田竜登氏は西洋・アジア・インドとの繫がりがある場所から考える意義、いろいろな層が存在している状況を見る視点に言及した。また「海賊」の定義の曖昧さを指摘した。

さらにデータベースの利用により、「商品」が見えてくる可能性に触れた。他方で、研究の方向や内容の新しさをどこに見出そうとしているのかという問いも出された。

 

 

 

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倉鎮郎氏(東京大学)は山崎氏の報告に関連し、水路の勘所を押さえた勢力がそれを利用し、海賊が出現し、それをコントロールした政権が強くなり、さらに発展して国際航路を抑えるという形になっていくと述べ、ホルムズ王国とイエメンのラスール王国との比較の可能性について提起した。また、紛争という言葉の定義について問うた。

 

 

 

 

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伏見岳志氏(慶應義塾大学)は以下の3つの研究史のコンセプトを提示した。1.大西洋を廻るモノやコト、情報の移動、2.大西洋をこえるつながり(植民者、政治支配)、関係の比較の視点、3.ある地域と大西洋の関係を探る。その上で新しい方向性として、もつれる歴史、外との関係や外との比較、さらに言語論的展開を挙げた。

 

 

 

 

総合討論の冒頭、中島楽章氏は、「倭寇的状況」が言われてから30年、これをどのように乗り越えるのかが課題であったが、資料に基づき、個別状況から整理することを重視しつつ研究を進めた結果、地域を固定しないという視点を持ち込むなどの成果が得られたと述べた。

討論では、「商人」「紛争」「奴隷」「海賊」はどのような存在なのか、言葉の定義にも眼を配ったほうがよく、またイスラーム教徒であれば皆一緒という認識にも問題があるのではないかといった指摘があった。

また、前近代史と近代史の時代の断絶があり、もう少し長期的スパンで捉える必要性や、16、17世紀は乱れているというようにみえるが、それはむしろ当たり前ではないかという指摘があった。その他、港市国家のイメージに関する質問や意見なども出された。

(文責:三王昌代)

 

 

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