ユーラシアの近代と新しい世界史叙述

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【報告】2014年1月12日(日)・13日(祝)「商館」研究会

2014年03月19日

2014年1月12日(日)・13日(祝)に東京大学東洋文化研究所にて「商館」研究会が行われた。2014年最初の科研研究会である。Shokan2013 shimada.JPG

1日目冒頭に島田竜登氏から趣旨説明があった。科研初年度より毎年開催してきた「商館」研究会は、その成果をとりまとめて出版することを目指している。今回の研究会は、より良い本をつくるため、執筆予定内容に対して執筆者に限らず出席者から広くコメントを求めたいとのことであった。(なお、執筆予定者のうち、片倉氏については海外滞在中のために2日目にレジュメが会場に配布された。)

2013shokan iwai.JPG最初の発表者は、「総論」を執筆予定の岩井茂樹氏である。商館は外国商人にとって現地社会へと媒介する場であり、商館に集まる媒介者・代理人(たとえば通訳や仲買人)とともに、国際交易を開拓・拡大させていったと論じて、各論を位置づけようと試みた。また、岩井氏担当の各論部では中国での交易仲介業者である牙人・牙行の史的意義を論じる予定であると説明した。会場からは、岩井氏の配布した総論初稿に対して、アジアに記述が偏っており、ヨーロッパでの状況に対しても見通しがほしいとの要望が挙げられた。

つぎは伏見岳志氏の発表「18世紀メキシコ・ハラパ大市の盛衰」であった。スペ2013 shokan fushimi.JPGイン領アメリカには商館制度が存在しなかったものの、大西洋貿易の取引の場所を制限しようとする試みがあった。植民地成立後200年も経てから内陸の一都市(ハラパ)に取引が限定された理由について、伏見氏は、スペイン人商人と現地(メキシコシティ)商人との力関係の調整の結果として説明した。質疑応答では、政治権力と商人との関係について質問があり、それに対して伏見氏は18世紀にブルボン朝が植民地への管理を強化していった点について追加の説明をおこなった。

2013 shokan murakami.JPG村上衛氏「カントンから開港場へ:19世紀後半、中国における対外貿易制度の変容」は、開港場体制の成立とそれに伴う内地の制度の再編を説明したうえで、「内」(開港場)と「外」(内地)とをつなぐ多様な仲介者(たとえば買辦)の重要性を指摘した。質疑応答では、「内」と「外」を分けて議論することで清朝領域内の多様性を軽視しているのではないかとの質問に対して、村上氏は、ある一定の商取引の常識が共有されている場はたしかに存在していると回答した。2013 shokan morinaga.JPG

森永貴子氏「サンクト・ペテルブルグの商業空間とゴスチンヌィ・ドヴォル」は、サンクト・ペテルブルグを例にとってロシアの伝統的な商館を分析したものであった。サンクト・ペテルブルグには旧ゴスチンヌィ・ドヴォル(ヴァリシー島内)・新ゴスチンヌィ・ドヴォル(ネフスキー大通り)が存在する。森永氏は、新ゴスチンヌィ・ドヴォル(1785年完成)を中心に解説し、単なる商取引だけでなく人々の出会いの場としても機能していたことを指摘した。

 2013 shokan sawai.JPG澤井一彰氏「オスマン帝国の都イスタンブルにおける商館:ハンの機能と分布」は、キャラヴァンサライ(主として都市間に存在する)との違いを明確にしたうえで、イスタンブルを対象にハン(商館)が担っていた多様な機能と分布状況について分析した。会場からは、(ハンが外国人商館としても機能していたアレッポやダマスカスでなく)イスタンブルを対象にしてハンを語ることの可否について質問があった。

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守川知子氏「イスファハーンのキャラバンサライとアルメニア人街区:内陸の<商館>と<出島>」は、内陸の<商館>と呼びうるキャラバンサライと、アルメニア人街区である新ジョルファー街区をそれぞれ説明して、17世紀の内陸の商業都市イスファハーンでの位置づけを論じた。フロアからは、アルメニア人は征服地の異教徒なので、インド人のような外国人とは区別すべきとの意見があった。

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