アジアの港町比較研究

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アユタヤ調査

2008年03月13日

アユタヤ調査2日目は、まず午前中に、パーサック川・チャオプラヤー川流域の6つの遺構の調査を行った。

 

(1)  ポムペット要塞

ポムペット要塞は、パーサック川とチャオプラヤー川の2つの流れがぶつかる位置に設置されている。要塞の高さは、約2メートルで、大砲を設置していたと思われる窪みが存在する。アユタヤの要塞は、数カ所に存在したが、現存するものはここだけであるという。ここでは、2つの流れが合流点に対して要塞が若干西寄りに作られていることが不自然である、ということが議論となった。また、砦横には、1913年にバンコク王室の寺院とその周辺の住民のためにたてられた貯水搭があった。ポムペットという名は、「ダイヤモンド(ペット)の砦(ポム)」に由来する。その後、移動のバスの中で、ヴィンセンソ・コロネーリのアユタヤ地図で、ポムペット要塞が元は5角形であったことを確認した。(*1)

*1)チャーンウィット・カセートシリ著、吉川利治訳『アユタヤ:Discovering Ayutthaya』DREAM CATCHER GRAPHIC CO., LTD. 2007

 

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ポムペット要
 

対岸には、パナンチューン寺が見える
 

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  現在、復元作業が行われていた貯水搭

 

 

(2)  セント・ヨセフ教会

次に、フランス人居住地跡の調査として、セント・ヨセフ教会に向かった。この教会は、ナライ王がフランスのイエズス会に与えた土地に建てられており、先のポムペット要塞から、チャオプラヤー川を西へ移動した所に位置している。教会は、立て直されたものであり、きれいなクリーム色をしていた。その後、隣接する墓地へ行き、比較的古いタイプの墓を調査した。中には壊れて中が空洞となっていたり、焼却炉として使われていると思われるものが存在した。

 

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(左)墓地 (右)セント・ヨセフ教会

 

 

(3)  ポルトガル人居住地跡

ポムペット要塞に対して南に位置するチャオプラヤー川流域には、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人、日本人がの居住地跡が存在する。ポルトガル人居住地跡は、川の西側に位置し、他の3つは、その対岸の東側に並んでいる。ここにある墓地は、その構造から、教会の床下にあったということで皆の意見が一致した。

 

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(左)ポルトガル人居住地跡 (右)ポルトガル人墓地

 

 

(4)  パナンチューン寺院

チャオプラヤー川の東側に移動し、中国人居住地跡にあるパナンチューン寺院を訪れた。我々が到着した直後、寺院から出てくる元首相のタクシン氏に遭遇したが、足早に去っていってしまった。ここには、様々な神が祭られており、大仏の他に、ガネーシャや布袋などの像があった。

 

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人々が袈裟を大仏に寄進していた
 
熱心に礼拝する人々
 
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報道陣に囲まれたタクシン氏(中央) ガネーシャに花輪をかける少女

 

 

(5)  オランダ人居住地跡

パナンチューン寺院から少し南へ移動したところに、オランダ人居住地跡は存在する。現在は、船の修理場となっており、たくさんの船が並んでいた。その奥に、少量のレンガ跡と、レリーフがあった。ここでは、川から池へ続く溝が、かつては堀であったこと、商館員の数を考慮すると現在確認できる部分よりも、さらに広い範囲に町は広がっていた、ということが議論となった。新たな発見のため、勇気あるY氏が、茂みの奥へ向かったが、残念ながらその痕跡を見つけることは出来なかった。

 

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たくさんの船が並ぶ
 
修理場奥にレンガが見える
 
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池へと続く堀
 
レリーフ
 
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Y氏が消えた茂み 対岸にポルトガル人居住地跡が見える

 

 

(6)  日本人村

ポルトガル人居住地のちょうど対岸にあたる位置に、日本人居住地跡がある。「アユチヤ日本人町の跡」という石碑があり、前日に訪れたアユタヤ歴史研究センターの別館があるが、残念ながら今回は見学できなかった。山田家という土産物屋の一角に、日本人町や山田長政に関する展示が見られた。

 

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山田長政像
 
石碑
 
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対岸のポルトガル人居住地跡  

 

 

午後は、まず、水尾聖娘という中国寺院を訪れた。管理をしている段氏に聞いた所によると、水尾聖娘は子授けの神である女の子の神様で、約40年前に作られ、奥の像は海南島から持ってきたあるという。段氏は、タイ出身の中国人で、若い頃中国で暮らしていたが、国境内線で難民となってタイに戻ったということである。

 

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海南島から持ってきた像 廟の入り口

 

 

その後、オプションとして、チャオ・サン・プラヤ国立博物館と現地菓子の調査の2組に分かれた。チャオ・サン・プラヤとは、第7代の王の名前である。ここは、3つの展示場に分かれており、多くの仏像などが展示されている。写真撮影は不可であったが、第3展示場は撮影可能で、生活用具などが展示してあった。

 

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展示品  

 

 

一方、菓子調査は、アユタヤ県立病院前に移動し、「ローティー」という菓子の調理・販売風景を見学した。これは、砂糖を太い綿菓子のようにしたものを、春巻きの皮で巻いた物である。澤井氏によれば、トルコには「ピシマーニイェ(Pi?im?niye)」という同様の菓子があり、また、長島氏によれば、インドにも類似の菓子があるが皮に巻かずに別々に食べ、チャパティのことをローティというそうである。

 

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皮は店先で焼いている 色々な味のある中身は工場で作られる

 

 

最後に、象柵に向かった。現在は、観光用に象乗りが行われているにすぎないが、国王に御稜威と福分を添えるものとしての吉祥象や、戦争で使われるなど重要なものであったという。この柵は、野生の象の群れ中から良い象を選ぶために、象を追い込む柵である。本来は、中央にガネーシャの像を安置する祠があるそうだが、現在は修復中であった。

 

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解説板 本来は中央の祠にガネーシャがある

 

(上野晶子)

 

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