アジアの港町比較研究

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ロッブリーのナライ王関係遺跡の調査

2008年03月14日

快晴。午前中、ロッブリー旧市街を中心に調査した。

8:35

ホテルLopburi Inn Resortを出発。バスで旧市街へ調査に向かう。

その途上、中央にナーラーイ王(Somdet Phra Narai Maharat (在位1656~88))の像が建つロータリーを通過。このアユタヤ朝第27代目の王が特にロッブリーを重視し、この町を第2の都としたことを思い起こさせた。また、車内から多数の猿を目撃した。

 

9:00

バスを降り、徒歩で旧市街の調査を開始。初めに市場へ。魚、肉、野菜、果物等各種の生鮮食料品を売る屋台が中心で、まさに現代ロッブリー市民の台所といった様相の活気あふれる市場である。唐辛子の種類の多さが目立つ。また、つみれやなれずし、漬物などの加工品も売られている。食文化に関心のある八百、上野両氏は早速菓子等を購入。

 

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市場の様子 Phra Narai Ratchaniwet Palaceの門

 

 

9:20                                                              

ナーラーイ王の宮殿(Phra Narai Ratchaniwet Palace)へ。宮殿敷地内の遺構および国立博物館(Somdet Phra Narai National Museum)を約1時間にわたり、各自で調査・見学。

博物館は大きく分けて、先史時代から13世紀頃までのロッブリーの歴史に関する考古学的遺物などの展示と、ナーラーイ王時代を中心にアユタヤ朝の交易・外交・文化交流等に関する展示から成る。前者にはラタナコーシン朝の王であるラーマ4世(在位1851~68)の時代のPhiman Mongkut宮殿が、また後者にはナーラーイ王が謁見を行ったとされるChantara Phaisan宮殿(ラーマ4世が修復)の建物がそれぞれ利用されている。ラーマ4世もナーラーイ王と同様ロッブリーを副都として王宮を造営したことで知られる王である。

 

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Phiman Mongkut宮殿 Chantara Phaisan宮殿

 

宮殿敷地内においてはこのほかナーラーイ王時代の建物の遺構が多数見られる。博物館になっている上記の2宮殿の南側には、1688年にナーラーイ王が崩御したところであるSuttha Sawan宮殿があり、これらの宮殿区画のすぐ外側には象舎の址が複数見られる。また象舎のさらに外側の区画には、フランスやサファヴィー朝からの使節を迎えた際に使われたという外国使節謁見の間や、12の宝物殿と呼ばれる一連の倉庫群、水タンクなどの遺構が残る。これらの建物にはヨーロッパの建築様式が取り入れられていたことがうかがえる。

 

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Suttha Sawan宮殿
 
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外国使節謁見の間(3方を濠で囲まれている)
 
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象舎は宮殿区画を囲む壁のすぐ外側

 

10:20

ナーラーイ王の宮殿からPrang Khaekを経由してフォールコンの住居跡へ向かう。Prang Khaekは10世紀頃に建立されたヒンドゥー教寺院で、宮殿から徒歩約5分のところにある。

 

10:32

フォールコンの住居跡に着く。コンスタンティン・フォールコン Constantin Phaulkon (1647~88)は、1680年代にナーラーイ王の寵愛を集めて最高位の大臣の地位を得たギリシア出身の人物。タイではその職名チャオプラヤー・ウィチャーエンで知られるので、この場所も “Chao Phraya Wichayen House” と示されていた。また、ここはナーラーイ王がシュヴァリエ・ド・ショーモンAlexandre chevalier de Chaumontらフランス王ルイ14世の使節団が滞在した場所でもある。現在はいずれの建物も土台と壁の一部が残るのみ。

 

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フォールコン住居跡  

 

 

10:50

発掘途中の遺跡(詳細は不明)を経てSan Luk Sonへ。現在は中国寺院が建っているが、ここは古来ロッブリーのcity pillar shrineとされたところである。『ラーマキエン』の話と結びついた伝説によれば、ラーマ王子が魔法の矢を放ったところに猿神ハヌマーンがやって来て、尾で市壁を造って町の場所を決めたという。city pillarというのはラーマ王子が放ったこの矢で、石になったとされるものであり、そこに寺院が建てられ祀られてきたとのことである。今回は特に猿が多いというPhra Prang Sam Yotなどに行かなかったので車内から見かけた程度であったが、ロッブリーは多くの猿がいることで知られており、町のあちこちに猿の絵の描かれた看板や“Monkey City”へようこそ、といった表示が見られた。そのような町の創建の伝説がハヌマーンと結び付けられていることは興味深い。なお、タイの文化における「柱」に関する祭祀については、例えば以下の論考が参考になる。森幹男「タイ系諸族の「クニの柱」祭祀をめぐって―タイ系文化理解の一視角―」『アジア・アフリカ言語文化研究』通号 38, 41, 43(1989, 1991, 1992), 「「インドラ神の柱」をめぐって―タイ系文化理解の一視角―」『アジア・アフリカ言語文化研究』通号50, 52 (1995, 1996)。

 

11:00

Wat Sao Thong Thongへ。ここは王宮のすぐ北側にあたり、イラン(ペルシア)などの外国からの使節らが滞在した場所とされる。現地に立っていた説明板によると、本堂(wihara(viharn))はかつてはカトリック教会として、あるいはモスクとして使われたものであるという。現在、本堂には黄金の仏像(説明板によると幅6m、高さ9m)が祀られ、本堂内部の側壁の壁龕にも古い仏像(13世紀頃のものが多い)が見られる。

また、本堂正面向かって右側に同じく説明板で「Kachasam館(Kachasam building)」と記されている建物がある。イラン(ペルシア)使節団が滞在したところと見なされている。Kachasam、あるいはKhorosan(Corosan)とはペルシア語のホラーサーン(Khor?s?n)に由来するとされる(ちなみに、ホラーサーンは現在ではイラン北東部の州名となっているが、歴史的にはより広い地域を指し、今のアフガニスタン西北部とトルクメニスタンの一部を含む)。これは現在では僧坊として使われているようである。2つの建物が1階部分でつながり、その天井にあたるところはテラスとなっているが、ここに袈裟などの洗濯物が掛けてあった。澤井氏の意見では、本堂側の建物のテラスへの出入口や、もう一方の建物のかつて窓であったらしき部分(今はレンガでふさがれている)の様式に中東の建築の影響がうかがわれるという。

 

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本堂側から見た「Kachasam館」
 
 
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「Kachasam館」の2つの建物
 
 
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「Kachasam館」の2つの建物の間のテラス部分

 


11:25

Wat Sao Thong Thongからバスで市壁へ。

11:33

市壁に着く。ここにはPrat? Chay (“Victory Gate”) と表示されている。

かつてロッブリーの町は、2重の市壁で囲まれていた(ただしロッブリー川に面した西側の壁は1重であった)という。これは内側の市壁の一部である。

 

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“Victory Gate” 外側の市壁跡に残る土塁

 

 

11:40

バスで外側の市壁跡へ。途中で鉄道の線路を横断。

11:45


外側の市壁があったという場所に到着。“The Old City Wall”という表示板があるが、現在は土塁のみ残る。そのすぐ外側に小川が流れており、市壁に沿って濠があったのではないかという意見が出た。

 

11:53

再びバスで移動し、数分でWat San Paoloに到着。ここはイエズス会士の天文学的知識に感銘を受けたナーラーイ王が建築を認めて建てられたカトリック教会の遺構とされる。現在も一部の壁が残っており、もとの建物の高さをしのばせる。

 

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Wat San Paolo

 

なお、ロッブリーにおいて今回調査した史跡や遺構の場所については、Tourism Authority of Thailandが提供する以下の地図などが参考になる。

http://www.tourismthailand.org/ajaxengine/upload/mod_map/12/img_file/img_43c0adb80d34dbe766ec80aae32b17b5.gif

 

 

12:00

以上で、予定されていたロッブリーでの調査を終える。バスでホテルへ。

12:20

ホテルにて昼食。

13:20

バンコクへ向けて出発。途中、一度ガソリンスタンドでトイレ休憩(14:40~50)。併設されたコンビニで飲み物などを購入してリフレッシュ。その後は、夕方の渋滞に巻き込まれないよう早めにバンコクに着くため高速道路をひた走る。

16:30

16時前に高速を降りた途端、渋滞の只中に入ってしまう。10分余りほとんど動かなかったが、その後は裏道をまわり渋滞を回避して、ホテル The Ambassador Hotel Bangkok に到着。

(和田郁子)

 

Phiman Mongkut宮殿

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